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代表橋本光よりヨーガ便り【12月号第1弾前半】
いつの間にか秋も過ぎ去り1年最後の12月の到来となりました。皆様におきましては日々お健やかにお過ごしのことと思います。
さて今回のヨーガ便りは私が最初にヨガを教えてくださいました沖先生の人を育てる教育者としての面をお伝えしたく記憶の限り書きました。
興味ある方は是非ご覧いただきたく思います。
ではお元気に年末をお過ごしください。
橋本光
[ 再び沖ヨガ道場へ******** ]
1977年7月に私は2年に及ぶ世界を巡るヨガの旅から帰国しました。帰国後、私にとって最初のヨガの学びの場でありました沖ヨガ道場の沖正弘先生に直ぐに挨拶に行きました。
そして挨拶したその時点からほぼ3年間、奉仕生、研修生として沖先生に指導頂きながら三島、大阪土佐堀、オランダにて沖ヨガ普及活動に専念することになったのです。
その3年間の出来事を次回、次次回含め3回に分けて記憶している限り綴って行きたいと思います。
今回はその第1回目になります。
遡ること1975年8月に米国に向かいましたがそれから東へ東へと向かいヨーロッパ、中東、インド、東南アジアと2年に渡る地球1周の旅を終えて、1977年7月私は帰国したわけです。
帰国して河原町通の京都ホテルに夜、到着した私は市電で実家まで帰ろうと市電を待っていましたが待てど暮らせど市電はきません。
おかしいなと思いつつよく見ると路面に線路がありません。その2年の間に市電は撤廃されていたのです。
このように2年の間にいろいろ社会に変化があったようです。
[ 両親に再会して******* ]
私はバスで自宅に帰宅しました。両親共に元気でしたが母の白髪が増えているのを見てまた父の年老いた姿を見てただただ申し訳無いと思いました。
両親は私の行動に良くも悪くもほとんど口を挟むことなく応援だけしてくれていましたが心の中ではさぞ心配が尽きなかったと思います。
その晩は両親と3人で2年以上ぶりに、夕食を共にしました。何から話して良いか分かりませんでした。
両親は私らは世界のことはようわからんけど、とにかくあんたよう無事で帰ってきたね。と特にそれ以上はあまり聞くことなく久しぶりの息子の姿に嬉しかったのか終始、笑顔で長い間ご苦労さんやねと労いの言葉をかけてくれました。
そして私の留守の間の兄たち家族の暮らしぶり孫の成長ぶりなどをたっぷりと聞かせてくれました。
また部屋のひとつひとつのたわいのない物までが大変、懐かしく感じられそれらを見て何かホッとしました。
しかし私の心境は複雑でした。
次のように心の中で繰り返し自問自答して煩悶していたのです。
ヨガの勉強といえ正職にもつかず世界をほっつき歩いいただけではないか。
親を心配事させてばかりで偉そうなことはなにも言えないだろう。
同時期の仲間達、大学の後輩も仕事について頑張っているではないか。
お前は一体何をしているのだ❗️
早く仕事を見つけるなり社会人として1日も早くしっかりと生きて行かねばならないのではないか❗️
と大変な焦りの心、責める心が津波のように押し寄せて来るのでした。
帰国の余韻を味わうどころではなくあらたな自立の決意をし行動に移すことにしました。
[ 自由奔放な生き方への決別 まず和歌山へ !!! そして三島へ !!! ]
さあ明日から自由ホンボウな生き方には決別して社会的ルールのなかでまずは社会的感覚を身につけることからはじめよう。自由奔放なヒッピーのような生き方とは決別するのだ。
その為にはまず以前お世話になった三島の沖ヨガ道場にて集団生活のルールの中で人とのかかわりのなかで生きる感覚を身につけるに限る。
もう一度沖先生から生き方を学んでみよう。
沖先生はその道の達人ではないか。
真の教育者ではないか。
すぐに沖ヨガ道場に向かう決意をしたのでした。
そう決意すると1日も早く三島に行かねばと強く思いました。
ただ三島の道場に行く以上は世界の旅の疲れを取り、厳しい訓練にも耐えられるように体調を整えてから向かうべきと判断しました。
そこで自宅で整え鍛えるのは甘えが出て大変難しい、その為自宅でないところで体調を整えることにしました。
いろいろ考えた上、知人で和歌山県の山中でみかんと農業、食養生を指導している自然派志向の実践家、丸山和泉さんを訪ねることにしました。
丸山和泉さんは阪大の名誉教授であった日本のアユルベーダ医学の導入者であり森永ヒ素ミルク中毒事件の解明に医師としての立場から多くを捧げた丸山博医学博士のご子息でした。
私は丸山和泉さんに近く2週間ほどみかんの手伝いに行来ますから泊めてもらえますか?よろしくお願いしますと電話一本して帰宅後、3日あとにはもう和歌山の地を踏んでいました。
白髪がめっきりと増えた母と物静かな父にはまたまた申し訳ありませんがしばらく和歌山に行き、そのまま三島に行って来ます。1ヶ月くらい後に戻って来ます。それから仕事を見つけますと暫しの別れを告げ和歌山に向かったのでした。
山の中にある小学校の廃屋を丸山和泉さんは買い取り生活道場として自然志向なる生き方に共鳴する人に開放してコミュニティ的生き方を目指されていました。
短い期間でしたが2週間山の中の空気を吸い、和泉式食養法で血液を清め、昼間は畑仕事に心地よい汗をかきました。
夜は和泉さんと仲間の桟敷さんという博学多才、元気なおばあちゃんから日本の古代文化といわれているカタカムナ文化の話や江戸時代の思想家安藤昌益の話など聞きました。
大変充実した2週間でした。体調が整いましたので2週間しましたら丸山さんと桟敷ばあちゃんにお礼とお別れを告げ三島に急ぎました。
[ 3年ぶりの沖ヨガ道場 ]
3年ぶりの道場でした。研修生、奉仕生もメンバーはかなり代わっていました。龍村修さん、鴻巣盛兄さん、佐々木正博さん、山本光司さん、永井幹人さん、三好暁さん、等何人か研修生の方みんなバリバリ仕事をしていました。
道場は相変わらず活気に満ちていました。
三島に到着するとすぐに受付を済ませ、沖先生に面談の希望を伝えました。
毎日の各種訓練、行法にも受講生として参加しました。
そうしまして3日目に沖先生に呼ばれました。
先生との個人面談は初めての個人面談からこのときでまだ3回目くらいでした。
先生はお会いしたらすぐに道場は何年ぶりだと聞かれました。ほぼ3年ぶりです。と答えました。
今回は何しに来たと聞かれましたので2年間アメリカやインドを回り、ヨガに触れて来ました。ヨガは沖先生に最初学びましたので、そのご報告にと思い参りましたと話しました。
分かったと先生は5分10分程度私の話を聞いて下さり今晩、受講生のみんなに世界の旅の話をしてやりなさいと百名近い受講生の皆さんに話をする機会を与えてくださいました。
[徹底した沖式現場の直接指導]
そしてその晩、アメリカの様子、インドのヨガ道場の話など一時間たっぷりと話をしました。
皆さんの前での私の話が終盤に差し掛かったとき、1人の研修生が1枚の紙切れを持って走って壇上の私のところに来ました。
そこには沖先生の次のような内容のメッセージが書かれていました。
最後の5分で話を受講生に喜ばれるように締めくくりなさい。
相手はここの道場の受講生なんだから
みんなが聞いて良かったと思うように世界のヨガとここの道場のヨガの違いを皆に聞いてもらいなさい❗️
このメッセージに一瞬たじろぎましたがなるほどと思いました。
私は確かにその時は世界の旅をただありのまま、やや得意気に話していただけでした。
考えて見ればここで話を一生懸命聞いてくださっている方のことを考えるというようなことは恥ずかしながら頭にありませんでした。
私は最後の5分を少し延長して皆さんの顔を見て少しでも皆さんのこの道場生活に役立つような話しをました。
世界の中ではおそらくどこにも無い特徴である総合的道場であることそして極めて実践的な道場であること等を話しました。
沖先生がここまで細かくその場で私の講話を訂正してくださるとは思いもよらず感激いたしました。その時の感激はいまなお忘れずにいます。
最後の5分間が聞き手の印象に残るか残らないか、そしてその落としどころをどこに、また何に置くかがスピーチの別れ道になること等おそらくスピーチの極意といえるものをたった1回の機会を逃すこと無く絶対に忘れない方法で頭に叩きこんでくださったのでした。
今も私のあらゆるレクチャーの締め括り方はこの時の体験によっています。・・・・・・・・・・・・・・・・・
*****************次回に続きます。お楽しみいただければ幸いです。****************
橋本 光