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代表橋本光よりヨーガ便り【12月号第1弾後半】
皆様へ
12月に入るや急に冬らしい寒さの訪れとなりました。
あわただしい時候となりましたが皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
今回のヨーガ便りは前回にっ続きヨガ便り12月号第1弾後半となります。
少し長めですが是非おお時間あるときに目を通していただくとうれしく思います。
では良き日をお過ごしください。
橋本光
*****ヨーガ便り12月号第1弾後半*****************
[活気に満ちた道場生活]
このようにあらゆる場を教えの場、教育の場として常に枠にはまらずに自由自在に考え実践されておられたのが沖先生でした。
沖先生は心身生活面全てを網羅する真の教育者であったと思います。
道場は年中無休、常に30人~200人の受講生と同じ屋根の下で起居を共にされた沖先生には日曜も祝日も盆も正月も無く休む姿は見たことが無いというまさに自己の全てを受講生に捧げる超人的生き方をされていました。
毎日私は鍛練など各種プログラムにいつも追われていました。
そしてある日研修生から呼ばれ今日から受講生を卒業して奉仕生としてお手伝いしてはどうだろうか。奉仕生になれば手伝いながら沖ヨガを学ぶことが出来るよと奉仕生になることを勧めて来られました。
私は願ったりのことで奉仕生の道を歩むことにしました。
奉仕生として私はその夏、道場に新たに滞在し始めたばかりの数名の海外からの若者に先生の講義を通訳したりしてお世話することになりました。
[身体で学ぶ心を一つに合わせる極意]
ある日、沖先生が突然今から30分後に俺の隣の部屋に海外からの若者全員、昔からいる若者も集めなさい。集まって全員揃って準備ができたら私を呼びなさいと指示されました。
私は他の奉仕生に協力してもらい海外からの若者を先生の部屋の隣に集めました。
総勢10数名全員が集まっていることを確認しました。
私は全員に挨拶の作法をきちんと教えました。
そして私は沖先生に用意ができた旨を確認したつもりで、声を掛けさせて頂きました。
失礼します。全員揃いました。ご指導よろしくお願いいたします。
よしっとふすま越しに先生の声が聞こえました。にわかにサッと沖先生はふすまを開け隣の室に入って来られました。
私は座っている皆を見回しながら沖先生に声掛けさせて頂きました。
正座❗️、合掌❗️そしてよろしくお願いします!!️と気合いを込めてお願いしたその瞬間、沖先生はやり直し!!️と厳しく一喝されました。
そしてやり直しの理由を皆に説明しなさい❗️とおっしゃいました。理由は自分で考えるんだ❗️
私は次のように瞬間感じました。沖先生にお願いしますと声を掛けた瞬間、皆の息が揃わずバラバラだったこと、その為、合掌のタイミングが揃っていない、つまり皆の気持ちが1つに揃っていないことを見逃していたと解釈し、その解釈で良いかお尋ねしました。
沖先生はそうだ❗️その通りだ❗️今のことを皆に伝えなさい❗️との回答を得て私は言葉を選びながらそれを英語で伝えました。
沖先生はさらにフオローして間をとることの大切を教えてくださいました。
一瞬の間を皆で共有することなんだ。間が共有出来れば息があってくる。息が会えば自然に気持ちが1つになる。間とは日本文化を成り立たせる大切なものなのだ。
またその間と静寂、和敬を味わうことを後日、茶道を通して学んでもらうようにその時間を取るから皆で体験しなさいと話てくださいました。
それらのことを私に英語で伝えるように指導してくださいました。
沖先生は研修生や奉仕生に教えを身につけさせるために第3人者に伝えることを通してという手段を良く取られました。
またあらゆる機会にあらゆる体験を通して何が正しいかを考え、感じ取らせ身につけるよう体験重視の手法を取られました。
このような観点から沖先生はさまざまなその道の師と言われる方がたを呼ばれ様々な道を学ぶ機会を私たちに与えて下さいました。病に苦しむ受講生から健常者の受講生まであらゆる考えの方、すべて平等に対応されました。沖先生の前では一切肩書きや嘘は通用しませんでした。
自分で体験するまでは答えは簡単には教えてくださいませんでした。
また道場のスケジュールは常に変更、変更で予期せぬことを予期せぬ形で対応させられました。あらゆる場面に対応できるようにと適応力の訓練でもありました。
皆には休む暇を与えられませんでした。仕事を切り変えながら力を抜いてやれば仕事自体が疲労回復法になる。
つまり休ませない中で疲れない極意を教えてくださっていたのです。
先生は時間を区切ってやるのを練習と言い、時間にとらわれず身に付くまで徹底してやるのを訓練と言う。気絶するまでやるのを修行と言う。
これら、練習、訓練、修行の3つの違いを良く話てくださいました。
俺は何十年と修行しかしたことはない。またそう言う仲間を待っているがまだ誰も現れない。と良く仰っていました。
道場生活は朝早くから夜遅くまでさまざまな訓練、学びが多彩にプログラム化されており皆で歌ったりディスコなども余暇として取り入れられ、また皆で箱根にバスハイクに行ったり、下田や静波の保育所に行ったりさまざまな行事がすべて総合的訓練の一環として組み込まれていました。
この総合的訓練のお陰で日本津々浦々からやって来る数え切れないほど多くの受講生が病気から開放され嬉々として自信を持って帰路に着くのでした。
実に若者を中心に全国からさまざまな方がさまざまな目的で集まっていました。
如何なる病人に対しても沖先生は病人扱いはしないで依頼心を捨てさせることが治療の最初の大事な一歩なんだとガンで生きる希望を半ば無くした絶望的状況にいる方たちにも病人扱いせず逆療法として健常者の肩を揉ませる等、常識を遥かに越えた革命的指導をされていました。
しかし一方では隅に1人うずくまっている人のことも忘れない、徹底した博愛者であったと思います。
それから2週間ほど経ったある日、8月の初旬に私は沖先生に呼ばれました。
[ 突然の大阪行き ]
沖先生は私に次のように仰いました。
今度、大阪の土佐堀にSさんと言うビルのオーナーが自社ビルを沖ヨガの道場として使って欲しいと言う申し出があった。それでお前と磯部が中心になって大阪に1つの拠点をつくって来てもらいたい。後何人かの研修生、奉仕生を送る。寮があるから住み込みで軌道にのせてもらいたい。沖先生の仰ることは選り好みせず全面的に従うと決めていました。
選り好みすれば修行にならないと決めていたからです。
そこで私はお引き受けする旨をお伝えして、さらに一番気になる点を尋ねました。
それでいつ大阪に向かえば良いのでしょうか。今年の秋10月か11月あたりでしょうか。
いや。来月9月の中旬だ。
エエ!!️先生、今は8月中旬です。後、1ヶ月少ししかありませんが。もう少し延ばせ無いもんでしょうか。
そうだな。Sさんの希望もあるからな。
と言うことで延ばすこと無く日程は変更されませんでした。早速、磯部さんと他の奉仕生も含めて毎日のように打ち合わせを繰り返しました。
そして数日後、沖先生。私はまだ人前でヨガを教えたことがありません。いつ指導法を教えて頂けますでしょうか。
と一番気になることを尋ねました。
(沖先生から直接ヨガの指導法を教わる)
わかった❗️明日山梨研修生のクラスの横のスペースで山梨の声に負けない声を出して参加者に教えるんだ。と沖先生は仰いました。
先生、まだ誘導のシナリオもいただいておりません。先生の本、ヨガのすすめを見て指導してよろしいでしょうか。
本を見て良いから山梨に負けない声で教えるんだ。受講生のみんなが元気になるように工夫して誘導するんだ。
間違っても上手に教えようなんて思うんじゃないぞ。
こんな出来の悪い自分でも教えさせて頂くと言うお役をいただいたんだとまず感謝することなんだ。
うまく教えられるかどうかは問題ではない!!️
どういう気持ちで教えるかなんだ。
教えさせて頂く、それだけでもありがたいと思えるだろう❗️
教える立場に立つと偉くなったと思うバカがいるんだ。偉いわけないだろう。
出来が悪いからせめて人様に教えさせて頂くと思って教えさせて頂くんだ!!️
教えさせて頂くことで上慢心の心に下座心の心をプラスしてバランスを取らせていただいているということなんだ。忘れるんじゃないぞ。
教えさせて頂くことで少しは人の役に立たせて頂くことが出来るからありがたいんじゃないか。
これが教える際もっとも大切な心得なんだ。
テクニックで教えるんではない。心で教えさせて頂くんだ。
教えてやっていると言う気持ちは一番汚れた上座心と言うんだ。
沖先生は指導に立つ時の最も大切な心得、下座心をこのように説いてくださいました。
こうして私は次の日から毎日いろいろな形で他の先生のクラスを出ながら私のクラスを担当させて頂きました。
初日はまず下座心の大切さを自分に徹底して言い聞かせて回りを良く見てメリハリのある声で指導する。ただこの事のみに集中して指導に当たりました。
山梨研修生は大ベテランのダンスの先生もされている女性のバリバリのヨガの先生でした。20~30人を相手に声のメリハリも誘導の巧みさも長年積み重ねられた圧倒する力を十分感じさせる指導でした。
その先生を横に見て初めて担当する私は10名程度の受講生を預り沖先生の本を開きながらとにかく声を大きく、出来るだけ分かりやすくその時間、たどたどしい指導とまだ言えないような担当をさせて頂きました。
山梨先生の誘導のメリハリ、間の取り方等は横にいるだけでも随分勉強になりました。
沖先生の初めの心得のお話と山梨先生の横で負けない声で担当させて頂いたことでまず教えさせて頂く清々しい気分とよろこぴを第1回目に体験させて頂くことが出来たのでした。
初めての指導の次の日から他の先生方のクラスに出させて頂きました。他の先生のクラスに出させて頂いた後は必ず何を学んだか何に気づいたか詳細に報告するように指導頂きました。
2回目からは本は見ずに流れを考えて担当いたしました。
さらに短い期間に何回かヨガポーズ指導の担当をさせて頂き、その都度、先輩の研修生にコメントを聞き、沖先生からも指導上の注意点を聞き出しました。
多分に見切り発車の感はありましたが大阪土佐堀道場の開講と共に指導者養成コースの企画を立てなさい。三島本部からキャリアのある講師を送るから。また月一回しばらく沖先生が講演に来てくださることになりました。
開講してから私たちがしっかり学ぶ機会をあたえてくださったのです、
私は沖ヨガの総合的訓練は範囲が実に広い。新しいことの企画、運営までが学びの対象になる。
結果は上手くいくか分かりませんが1人での世界見聞の旅から社会人への第1歩として大きな転換になると信じて取り組むことを決意したのでした。
大学卒業後、一年間近く勤めた大阪に4年ぶりに舞い戻ることになったのです。
大阪行きの準備もほぼ皆で終えた9月の初旬、私は相棒の磯部さんと沖先生の部屋に呼ばれました。
来週から大阪に行ってもらうことになる。俺も月一回くらいはしばらく顔を出すから頑張ってくるんだ。
何か質問はあるか?
オーナーのSさんはどのような方ですか?
俺の個人指導で命を取り止めた方だ。
何か気難しい方と聞いていますが。
お前達世間知らずにはいろいろ細かい方だからちょうど良い方なんだ。
そういう方の元で苦労することで世間を少しは知って来れるんだ。
分かりました。
では頑張ってきます。
次の週、車に荷物を積んで私と磯部さん、浅川君の3人は三島から大阪は土佐堀に向かったのです。
どのような生活が待っているのだろうか。不安な心、心配な心もありましたが自分たちの手で新しい何かを作るんだ。うまくいくかはわからないが
沖先生という大船に乗ってみよう。前向きな意気込みは仲間の全員に強く浸透していました。目を輝かせながら私たちは西に向かって走って行ったのです。
*****************第2弾次回に続きます。次回をお楽しみに。
橋本光