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代表橋本光よりヨーガ便り【4月号】
いつの間にか桜も散り始め葉桜が目に留まります。
皆様お変わりなくお健やかにお過ごしのことと思います。
今回のヨーガ便り4月号は1978年夏に沖先生と奥田老師に随行してヨーロッパでの禅ヨガサマーキャンプに参加した際の回想録です。
沖先生や奥田老師の日本の心を伝えるその真の心はヨーロッパ各国で大きな印象を与えていました。
そのあたりが伝えていれば良いのですが。是非ご一読いただければ嬉しく思います。
橋本光
*********ヨーガ便り四月号*********
1978年夏。ヨーロッパ禅ヨガサマーキャンプ開催。沖正弘先生、奥田仁芳老師に随行して*****
******ヨーロッパ禅ヨガサマーキャンプ出発前夜*******
1977年7月、2年に及ぶ世界の旅から帰国した私はヨガの恩師である沖正弘先生に世界のヨーガの旅を報告する為、三島の道場に急いだのでした。
そして三島の道場で沖ヨガを再び学び始めた私に2ケ月もたたない内に沖先生は大阪土佐堀道場の開設に携わるという機会を与えてくださったのです。
私は沖先生のもとで指導を頂くつもりだった為、沖先生に指示されることは出来る出来ないに関係なくすべて100%受けさせて頂く全託のつもりでいました。
そして大阪に移転して1年経とうとしていた1978年夏に突然、ヨーロッパで開催される沖先生主催の禅ヨガサマーキャンプについて来い!! と先生直々に声をかけて頂いたのでした。
私は急いでヨーロッパに随行する為の準備を始めたのでした。
沖正弘先生と同行される奥田老師ご家族のお世話役までさせていただくことになりました。
***熱き情の禅僧、奥田仁芳老師と禅の心****
私は奥田老師ご家族と成田空港からオランダのスキポール空港に飛び立ちました。
奥田老師は京都宇治の黄檗宗の管長、名僧と言われる村瀬玄妙猊下の直弟子であられる禅僧でした。滋賀の日野町にある正明禅寺の住職も兼任されていました。
沖先生は別行動で現地オランダに向かわれ私達とは現地にて合流することになっていました。
6歳のミツルちゃんと3才の道仁君を連れた奥田老師ご夫妻は小さな子供に広い世界を見せ、また日本の禅文化を日常生活の当たり前の立ち振舞いの中で体験させようと親として熱い気持ちを持ってヨーロッパに向かわれたように思います。
当時、40歳半ばの奥田老師はまさに情の塊のような血の熱き御方でした。
ヨーロッパのどの国においても全く飾ることの無い熱血の老師はもの静かな禅僧のイメージからは大きくかけ離れた情の深い、行動する誰からも慕われる禅僧でした。
ドイツやイギリス、オランダ等どの国においても生け花を通して禅の心を、茶道を通して禅の心を、般若心経を通して禅の心を、そしてただ座り続ける無念無想の座禅を通して禅の心を、全身で伝えようとされていました。
座禅においては座禅を組む人を順に警策で肩を叩き、気合いを入れられ姿勢を正されました。
禅の心とは1つは良く書に見る一円に込められた心のことです。どこにも角の無い円い和、輪の心のことなのです。
そして2つ目には真に頼れる自分を作る心のことです。
己こそ己のよるべ己をおきて誰によるべぞ。良く整えし己こそまこと得難き寄る辺なり**********
この言葉は法句経に出てくるブッダの教えです。
頼れる自分になることがいかに大切かを語る言葉です。
このような禅の心を奥田老師はあらゆる機会にその後、ヨーロッパの各地にて熱く説いておられました。
****沖先生の魂を奮わす一言********
さて私たちは数日後、オランダにて沖先生と合流したと記憶しています。
キャンプに参加するオランダ人のダンサーであるアンネウエルスマン達が私たちを、大歓迎で迎えてくれました。
私は奥田老師についてアムステルダムやハーレムまた隣のベルギーの町アントワープなどで禅のワークショップを行いました。
沖先生一行とオランダで合流した私たちはドイツに移動しローレライのキャンプ場にてワークショップを開催しました。
キャンプ場では朝は主として朝早い座禅を皮切りに強化法始め身体訓練を、午後はお昼休みの後、奥田老師ご夫妻による生け花や茶道あるいは沖先生のヨガの講義等、休み無くさまざまなプログラムに弛緩タイムと緊張タイムが交互に来るようにバランスよく組みこまれていました。
沖先生ならではの強化訓練では身体の中心点、丹田力を高める為、肛門を引き締めながら腰腹力を鍛える多種多様な訓練を指導されました。
頭を使いストレスを抱える多くのヨーロッパの方々には私ら日本人以上に大変刺激となり効果を生むプログラムでした。
丹田を鍛えることは眠れる生命力を甦らせるというようにヨガ、禅に共通した極意であり、生きる上での土台となります。
訓練のモデルに抜擢された私は指導を受けながら通訳もこなし説明を加えるなど大変忙しく立ち振る舞っていました。
沖先生は英語が大変堪能でありながらわざわざ日本語で話されて私に通訳の練習の場を与えてくださったのです。
沖先生はあらゆる機会を人材育成の場とされていました。
ドイツローレライでの講義は大変印象的でした。
沖先生は200名近い参加者を前にして自己紹介されました。
その時、袴姿の気迫に漲った沖先生は毅然とした佇まいで次のように一言仰いました、
本日、私、沖正弘はドイツ人として沖ヨガと日本の禅文化を皆様にお伝えさせて頂きますと自己紹介されたのです。
通訳をしていた私は一瞬耳を疑いました。沖先生はいつ何故ドイツ人になられたのだろうかと。
ドイツ人である参加者全員もまた初め耳を疑ったようでした。
それを察知した沖先生は一呼吸置いて次のように仰いました。
皆さん、何故日本人である私があえて本日ドイツ人としてお話しようとしているかわかりますか?
誰も答えられませんでした。
一同をぐるっと見渡した後、沖先生は次のように仰いました。
私の血は日本人の血ですが今私はドイツの地におります。
皆さんドイツの方々と同じ様にドイツの空気を吸い、ドイツの水を飲み、ドイツの大地に育った食べ物を頂いて命を繋がらせて頂いております。
ドイツの地にてドイツのあらゆる恩恵を受けてここに立たせていただいております。
だから皆さんと同じドイツ人だと申したのです。
参加者全員の魂をふるわす一言でした。
まず沖先生は恩恵をいただいているこのドイツを立て、そのお陰を真っ先に伝えるということを最優先されたのでした。
相手の心を打たない訳がありません。
それを聞いたドイツの方々は一瞬にして沖先生の信望者になってしまいました。
私は脳天に一撃を食らったような衝撃を受け、同時に改めて沖先生の凄さを肌で感じました。
やはり沖先生は国境を越えた世界人だ !!、地球を舞台に生きる方だ !!
大和心を体現された真の日本人だ !! と大きく感動しました。
*****初めて見る沖先生のお一人の姿******
またキャンプ場では指導の合間にガンと共存されていた沖先生は日頃無理に無理を重ねて指導に当たられているため体調を整えようと野草を摘んでお湯でにて薬として食されていました。
大地のエネルギーを一杯含んだ野草が沖先生にとっては最高の薬だったのかもしれません。
講義含め指導以外では先生はお1人で静かに散歩されたり寛いでおられることもありました。
ある時、ローレライのキャンプ場で指導された後、夕食までの間フリータイムでしたので私はキャンプ場の裏手の夕日のよく見える草むらにぶらっと1人で散歩していました。
ちょうどその時、近くに沖先生がおられ私に橋本! こっちへ来て座れ ! と気さくに声をかけてくださいました。
普段、個別的にお話する機会がほとんどなかった為、緊張しながら私は草むらに座わりました。
先生は大変リラックスされ短い時間でしたが四方山話を交わしました。
大変楽しい一時でした。
夕日を眺めながらのあの一時にもっともっと質問したり話しをしておけば良かったと今頃大変悔やまれますが残念ながら時間は戻って来ません。
一生忘れてはならない貴重な人生の指針とも言うべき一言まで頂きました。
その言葉は今も生きる指針にしております。
*****陰陽の調和と変化、バランス、安定の理を知ること*********
沖先生は講義の中で日本文化の背景にある陰陽の原理をしばし話されました。
沖ヨガは陰陽の原理を沖先生の工夫により日常の行法に取り入れて実践化され、優れた生活ヨガにまでに仕上げられています。
生け花を活ける時は天・地・人の理について話されました。
自然は絶え間なく変化しバランスを取って安定に向かおうとする、その繰り返しの法則は生命の働きとして皆の中に生き続けているではないかとよく先生は話されていました。
大自然の変化を知りたければ陰陽の易を、バランスを知りたければヨガを学びなさい。安定を知りたければ禅を行じなさい。
これが沖先生の口癖でした。
今から考えますとその時の禅ヨガサマーキャンプは禅とヨガの心を学びながら、この大自然そして私達の体内にの中に息づく変化、バランス、安定という3つの理を体験を通して知る場だったのです。
****ヨーロッパ各地の素顔************
私達はドイツからスイス、ベルギー、オランダ、イギリスとあちらこちらで禅ヨガセミナーを開催しました。
特にスイスでは雄大なアルプスの麓で皆で太陽礼拝を行った際の清々しさが今も忘れられません。
イギリス、ロンドンでは [ホイールヨガ] ヨガの輪という歴史あるヨガ団体から沖先生は招待されていました。
イギリスはヨガが100数十年前から知識人階級には知れ渡っていたようです。インドを長く植民地化していたからと思います。
ロンドンのオーガナイザーは主として年配の方が多く、オランダはオーガナイザーのほとんどが20代、30代の若者達でした。
特にオランダは各都市がユースセンターなる若者による若者の為の自由な雰囲気の施設を積極的に提供、展開し、ヨガも人気のプログラムのひとつでした。
オランダのアムステルダムではマクロビオティック(陰陽の食養法)の活動が広く展開されていました。
*****禅ヨガサマーキャンプが終焉に近づいて********
いつの間にか2ヶ月近くにわたるヨーロッパセミナーも8月を過ぎてやがて終わりに近づいて来ました。
いよいよ最後のセミナーの地、オランダでの最後のワークショップが終わりました。
その時、沖先生はオランダの若者達から誰か1人の沖ヨガの日本人研修生を残して欲しいと直訴されました。
次の日に沖先生は私達随行した研修生や現地の弟子たち一同を集め緊急のミーティングを開催されました。
内容は誰がオランダに残るかを決めることでした。
車座になってミーティングは始まりました。
沖先生は研修生の1人1人にオランダに残れるかを聞かれました。研修生の先輩達は皆それなりの理由があり残れ無いと釈明し沖先生も同意されました。
最後私に話が回って来ました。私は土佐堀道場があるのでオランダには残れないと話しました。
沖先生は土佐堀は神野と磯部に担当させるから心配ないとおっしゃいました。
そのようにしてその場で私が残ることに決まりました。
私は沖先生に尋ねました。
*****いつまで残り、その間、何をすればよろしいのでしょうか*****
*****10月一杯残り、それまでクラスを開催し来年夏のサマーキャンプに繋ぐように準備するんだ*******
と大変シンプルかつ大変難しい内容の答えが返って来ました。
次に大事な質問をしました。
*****沖先生、私はこのサマーキャンにはお供で来ましたのでわずかに2~3万円程度しか持ち合わせていません。
******明日、沖先生が帰国された後はどうやって食べて行けばよろしいでしょうか****
******わかった。明日空港に俺を見送りに来る時に10万円渡すからそれで10月一杯までなんとかしろ。オランダの仲間にクラス開講の協力をしてもらうんだ****
****わかりました。帰国前、一度三島にTELしますので帰国のご指示よろしくお願いします。*******
次の日に私はスキポール空港に沖先生と奥田老師ご家族、本部研修生の先輩達を見送りに行きました。
沖先生から活動資金を頂かなくてはなりません。
沖先生とお会いしたら沖先生は背広から財布を取り出してこれでなんとかしろとお金を袋に入れて渡して頂きました。
私は1人残ることになりました。
先生ご一行を見送った後、直ぐにオランダの協力してくれそうな参加者10名前後の皆さんを呼び緊急ミーティングを開催しました。
皆さんは驚くほど協力的でその場でオランダ各地での9月からの沖ヨガクラスの開講が決まりました。
アムステルダムではマクロビオティックのイーストウエストセンター、デン・ハーグではアンネウェルスマンのダンススタジオ、フローニンヘンではピーターのスポーツスクール等等、あちこちで沖ヨガクラスがスタートすることになりました。
2ヶ月頑張ろうと決意しました。
そうしてあっという間に1ヶ月経ち10月になりました。
私は約束通り三島にTELしました。道場の事務方が沖先生に直接つないでくれました。
沖先生は電話にでられました。
*****俺だ❗️どうした❗️
****橋本です。お約束通り今月10月末に帰国するということでよろしいでしょうか。お陰さまでオランダ人は大変協力的で予想以上、オランダ各地で計10クラス以上、沖ヨガクラスを開講しております。来年8月から再開出来るようにしています。
****わかった。来年8月にまた俺がヨーロッパにいくからそれまで待っているんだ。
*****ガチャンと電話は切れました。
私は予想だにしない沖先生の一言に頭が一瞬真っ白になりましたが全てを沖先生に全託しているのだから成るように成る、と自分に言い聞かせ私は電話の受話器を置き直しました。
よし、明日から10ヶ月頑張ろうと自分に言い聞かせました。
そして改めて沖先生の人の育て方について深く思案しました。
その後、沖先生のお陰でオランダでの指導10ヶ月にわたるオランダ生活で困難に対する耐久力、孤独感を克服する力、もろもろに対する適応力等を随分養うことが出来たように思います。
そして翌年の夏までいろいろな出来事が起こる中、オランダにて沖ヨガ普及活動に専念することが出来たのでした。
次回はその辺りの様子を回想しつつお伝えいたします。
お楽しみください。
※写真は今回ヨーガ便りの1977年のヨーロッパ禅ヨガサマーキャンプの際の写真です※
橋本光