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代表橋本光よりヨーガ便り【5月6月合併号後半】

2023-06-15 13:56:21
皆様へ

いつもご覧頂きましてありがとうございます。

今回は前回の続きです。

ボンベイのゴパールポヘーカ氏に会って後スンナリと成田空港に飛んて行くものと思っていましたが全く予想し得ない思わぬ経路をたどることになりました。

さすが沖先生です。

お時間ある時にでも宜しかったらお目を通してもらえればと思います。

橋本 光
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<インドボンベイに立ち寄る>

ゴバールポヘーカという名前、そしてボンベイNo1のサリー商人という僅かな情報だけで本当に探せるのだろうか。

沖先生は何を意図として私にそのような無理難題に近いことを指示されるのだろうか。

一瞬いろいろ考えましたが間違いなく、このような無理と思われることをわざわざ指示されるのは苦労、工夫こそ自己成長の有りがたい道とする教えの1つから来ることと理解しました。

[*****苦労を単なる苦労話に終えるるのではない。大事なことは苦労することではなく苦労から何を学ぶかなんだ。******

*****土壇場の難題こそ人を成長させてくれる試金石なんだ。そのことを実体験して、その1つ1つを年輪のように自らに刻みこんで行くんだ。******]

という沖先生の声が聞こえるようでした。

背水の陣を敷いて、徹底して解決の道を見つけなさいと。


私は駄目元でまずは当たって砕けろと単純に空港のツーリストインフォメーションセンターに直行してゴバールポヘーカ氏について尋ねました。

受付嬢はすぐに調べて
住所を教えてくれました。

なんとその場で2、3分でゴパールポヘーカ氏の住所等分かったのです。

何事も思い煩うな。

そのつもりになれば何事も解決する。ということを目の前で経験させて頂いたのです。

また沖先生の次のような言葉が聞こえるようでした。

物事は大げさに考えるものではない。物事は成るときには成るように成るんだ。

あんまり心配するな。どうしてもという時から悩めば良いんだ。

一方、沖先生は何事も考え抜いた上で、感じろ。と感じることの大切さを嫌というほど仰っていました。

沖先生のエピソードの1つです。

沖先生が若かりし頃、インドにて修行中、師匠のヨギから明日、来客がある。食事の用意をしなさい。と言われたそうです。

沖先生はすかさず尋ねたようです。

来客は何人でしょうか。

すると師匠は次のように言ったそうです。

そのぐらい分からないのか!! 人数くらい感じ取れ !! と。

流石の沖先生も度肝を抜かれたに違いありません。

このようなインドでの体験を通して沖先生は私達に何事にも常に感じ取れと口酸っぱく教えてくださったのです。

私はゴパールポヘーカ氏を訪ねました。流石にボンベイ一のサリー商人だけに邸宅は大理石で出きており沖先生の弟子ということで大変手厚くもてなしてくださいました。

大理石でできた豪華なリビングでは夕食時は家族と一緒でよもやま話に花が咲きましたがその間は背後ではオーケストラ(楽団)が音楽を流して楽しい団らんを演出してくれました。

ゴバールポヘーカ氏のお嬢さんに連れられてあちこちのサリーの展示会、見本市、マーケットなどを楽しんで来ました。

さて沖先生の指示通りゴバールポヘーカ氏には翌年の第1回禅ヨガ世界大会にインドからツアーを組んで結果20人くらいで来てくれることになりました。

<インドを立ちいざ帰国の途に>

私はインド滞在の目的も達しましたのでこれで帰国出来るとホッとして三島の本部にTELをしました。

電話に出た研修生がちょっと待ってくださいと沖先生に聞いてくれました。

研修生の答えは全く予想外でした。

すぐに帰国するのではなく台湾の○○さんを訪ねて欲しいとのことです。今度は名前も住所も教えてもらいましたがやはり禅ヨガ世界大会のツアー参加の依頼の為でした。

数日、台湾に滞在してツアー参加の打ち合わせという役目を終えて私はいよいよ帰国の指示を仰ぐ為に三島に再びTELをしました。

いつ成田に戻れば良いでしょうか。また本部の研修生が沖先生に聞いてくれました。

沖先生は福岡空港に着くようにとの指示でした。またもや予想外の返事です。

なぜ成田ではなく福岡空港なのか私は不思議に思い研修生に聞いて見ました。

研修生はさらに福岡空港に着いたら広島の入野先生宅(入野先生は沖先生の弟子のひとりでした。)にTELするようにと話してくれました。

<台湾から広島へ>

私は指示通り台湾を立った日の昼過ぎ福岡空港に到着しすぐに入野先生宅にTELしました。

入野先生の研修生が今晩沖先生の講演会が毎日ホールであるので橋本さんはそちらに直接来るようにとの沖先生のお話ですと伝えてくれました。

私は福岡から広島の毎日ホールに向かいました。6時頃現地に到着しました。夜7時から始まる沖先生の講演会の準備がちょうど始まろうとしていました。私は帰国の挨拶も兼ねて控室に沖先生を訪ねました。

受付の手伝いをするようにとの指示がありましたので挨拶もほどほどに私はすぐに受付に向かいました。

そして30分位前に私は改めて沖先生に呼ばれました。

<思わぬ試練>

沖先生は私に次のように仰いました。俺は今、原稿書きで忙しいんだ。見たらわかるだろう。
7時から講演をすると原稿は間に合いそうにも無い。それでは具合が悪いんだ。俺に代わって橋本!!お前が講演をして来るんだ。

私はエッと絶句しました。

何たることだ。確かにこのような時、沖先生は絶対に冗談は仰らないので理由なく断るわけには行かない。

しかし事実として7〜800名の受講者で満員の毎日ホールでどうやって私が沖先生の代役を務められるだろうか。

私はオランダからインド、台湾を経由して帰国したばかりの身だ。ジーンズにヨレヨレの身なりで受講料を払った皆の前に立つわけにはいかないだろう。

この理由で断ろう。

私は服装を理由に辞退を沖先生に申し出ました。

沖先生は私の辞退を予想されていた如く次のようにおっしゃいました。

受付の山田君の背広を借りたらどうなんだ。

エエッ!! 私はこの時点で観念しました。もう従うしか無いと諦めたのです。

山田さんは初老に達した方で私は山田さんにお願いして背広を借りました。

その時、6時50分。後10分で講演会が始まります。背広を借りた私は沖先生にまたや呼ばれました。

何か聞きたいことがあるか?

ハイッ!! 私は数百名と言うこのような大勢の前で今まで話をしたことはありません。

とても沖先生の代役は務まりそうにもありません。

どのような話をすればよろしいでしょうか。

と尋ねましたら沖先生はこのように答えられました。

お前は何か勘違いしていないか。

俺の代役として立派な話をしなければならないとでも思っているのか。

一度も俺の代役をしろなどと頼んだ覚えはない。

俺の代役出来る者などこの世にいるわけ無いだろう。

お前の話をしろと言ってるんだ。

今のお前にそうそう立派な話などデキる訳無いだろう。また誰も期待してる訳無いだろう!!

ではどのような話をすればよろしいでしょうか。

お前は今どこから帰ってきた?

オランダからです。

そうだろう。そのオランダで何をしていたんだ?

沖ヨガを教えていました。


そうだよな。オランダで沖ヨガを教えていた事。自分で体験したこと。感じたことをただ話すのはそんなに難しいか?

イエそれなら話せると思います。

よしっ!!
分かったら話して来い!!
話すんではない。

話させていただくんだ。下座心で行くんだ。良いか!!

私は一瞬にして肩の荷がおりたのを感じました。

代役ではないんだ!
自分の体験だけ話せば良いんだ。いや話させて頂くんだ。

私は沖先生の代役という勝手な妄想から完全に開放され、また下座の心に意識転換できたのです。

司会者の声が聞こえて来ました。

沖先生は最後に一言おっしゃいました。

ただ観客席の後から俺が現れ両腕で☓を作ったら、いいか1分でうまく話をまとめるんだ。いいな。
話はさっとまとめることが大事なんだ。では行って来い!!

山田さんの背広に身を包んだ私は姿勢を正して演台の袖から中央に進みました。

台本無し。ぶっつけ本番。

オランダの一年が今の台本だ。自分に言い聞かせて私はまず簡単に自己紹介しました。

次にオランダ巡回指導の話をさせて頂きました。

不思議なものでオランダの話を始めるとロバートやジェームスやルースという仲間の顔が浮かび夢中で話しました。

話している間は観衆からどのような印象を持たれているか、上手く話しているだろうかなどの思いは全く湧いて来ませんでした。

ただ淡々と話していたように思いました。

私は話していてこのままだといくらでも話せるのではないかと30分ほど経ちましたらやや有頂天になりかけました。とその時です。

沖先生が観客席の後方に姿を表しました。

両腕でXのサインです。

私はすぐに話しをまとめはじめました。

スタートする難しさとクローズする別の難しさを感じました。

こうして沖先生は7〜800名の前で台本なしでスピーチするという滅多に無い経験をさせて下さいました。

恐らく沖先生は原稿を理由に私に銭座の機会を与えてくださいましたが本当は原稿の件はは一つの芝居だったと思います。
とにかく私に経験をさせて下さったという事です。

頭が下がります。

失敗しても先生はフォローする用意をされていたと思います。

沖先生は私達若者にいつも難題、試練という最大の試金石をあらゆる場面で惜しみなく提供してくださいました。

そして体験を通して物事の本質を掴むことを学ばしてくださいました。
体験は一人一人皆違った体験ですからそれぞれどのような些細な体験も実はたった一つそしてたった1回切りしかないという事なんです。

だから誰もが自分の体験談を話すときは堂々と胸を張って話せばよいという事なんです。
そういうことを沖先生は黙って教えてくれていたのです。

私はその晩、沖先生一行の一員として入野先生宅に泊まりました。

沖先生は講演後も原稿執筆の続きをされていました。帰国途中の疲れと垢を流す為私は風呂に入りました。1年半ぶりの風呂に満足でした。

風呂から出ると沖先生の横に座り原稿執筆の手伝いをしました。

夜12時過ぎましたら旅の疲れかウトウトし始めました。

そうしましたら沖先生は私にもう寝て良いと横の布団で眠るよう言われました。そして一言朝4時に俺を起こせと。

私は分かりましたと言ってその場で爆睡しました。

と明け方私の頭を誰かがコツンコツンと何かで叩いています。夢うつつ目を覚ますと沖先生が鉛筆で私の頭を叩きつつ一言おっしゃいました。

おい。4時だ。

私はすっかり寝過ごすところでした。しまったとすぐ起きてまた執筆のお手伝いをさせて頂きました。

こうして沖先生一行は本部三島に向かいましたが私は別行動として大阪の土佐堀道場の仲間や尼崎の大槻先生、滋賀の奥田老師を帰国の挨拶の為に訪ねました。

実家、京都の両親にも久しぶりに会いその晩夕食を共にして次の日には席のあたたまるひまもなく私は翌年の禅ヨガ世界大会の準備のため三島に向かいました。
一大プロジェクトが待っているのです。

私ははやる心を抑えて新幹線に乗り込んだのでした。

********************(7月号に続く)
橋本 光

 

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